自分の宗教事情


ずっと前にちょっと書きましたが、自分は創価学会の3世です。3世なので、親戚中(主に父方)が学会員という状態です。
ご存知の方も多いと思いますが、創価学会日蓮正宗の在家集団みたいなものでした(過去形なのは今は違うからです)。そのため、家にはごく普通に大きな仏壇があり、朝晩にはお経を唱えるいわゆるお勤めみたいなものをしていました。あと学会独自の活動も参加してました。自宅が会合の場所になったりしてたし。これもごく当たり前でした。今思えば、両親はもちろん学会の関係で出会う人たちは、大人も子供もみんな、それはそれは熱心に活動していました。


小学校卒業くらいまではそのことに全く疑問を持ちませんでした。まぁ疑問を持つ余地がなかったわけですけども。この辺が、2世以降の人達が後になって困るところでもあり、悩むところでもあるんですが。


でも中学に入ってから徐々に変わりました。仲良くなった子が学会員だったのですが、自分のところほど熱心じゃなかったんですね。さらにあまり親も押し付けてこないというじゃないですか。
「学会=熱心にやるべきもの」「親がやってる=自分もやって当然」と刷り込まれてた自分にとって、これは相当カルチャーショックでした。何の疑問も持たず両親の言うままに学会のマーチングバンドにまで入ってた自分と、両親からの押し付けは軽度で適当な態度で学会に臨む友人。ここで初めて比較対象を得る事ができたのですね、今思うと。


この友人から言われた言葉。
「周りから見ると、みゃすこって相当熱心な学会員に見えるよ」


当時の私にとって、この一言は強烈でした。
え、熱心とか消極的とかじゃなくって、これが当たり前じゃないの?
あんただって学会員なのに、何でそんな一線を置いた態度なの?
もしかして自分がやってること・環境って、当たり前なものではない??


これをキッカケに、自分の中でマインドコントロール?刷り込み?のデプログラミングが始まりました。


…というわけで、現在はすっかり活動も関わりも持っていません(脱会はしてませんが…)。残った特技は、未だにお経をソラで言えることぐらいか(誇れない)。


その他のことといえば…

  • クリスマス
    • やってました。普通に。でも「清しこの夜」とか歌うのは嫌がってたなぁ両親。今思うと意味不明。
  • 年越し&お正月
    • 高校生までは神社に行った事ありませんでした。いや、ホントですよ。かといってお寺に行ってたかっていうとそれも1度しか記憶がありません(^^;。どこに行ってたかって?会館です。
  • 七五三
    • やった覚えあります。でも千歳飴買って写真とっただけだったかも。うろ覚え。

…つうわけで、年越しやお正月を神社で過ごしたことが無いというくらい、自分は神社には縁のない生活をしてたわけですが、これが歳を経るごとに実生活に支障?をきたす訳ですね。いや、結構楽しんでたりするんですが。これについてはまた日を改めて…。