テレビと子供の言葉の発育

id:andy22さんのところで
「あの提言は疑問。統計処理間違ってるんじゃない?」
と暴言を吐いてる今日この頃。みなさんどうお過ごしでしょうか。(w


久しぶりに自分のアンテナを見直していたら、こんなサイトを発見。


読書と日々の記録 1999/11/21(日)
■『テレビとのつきあい方』(佐藤二雄 1996 岩波ジュニア新書 \640)


このサイトは、琉球大学 教育学部 道田先生の読書の記録を綴ったページであるが、その中に「テレビとのつきあい方」というのがあった。


このページにも書いてあるが、テレビというメディアは、圧倒的な総合力を持っていると思う。音声、映像、リアルタイム性…ネットが普及した現在でも、総合力という点ではテレビには適わない。


で、そんなテレビの特徴としてはこんなことが挙げられるそうだ。(又聞きとなって恐縮ですが…)

「気楽さ、楽しさ、とっつきやすさ、理屈のないところがテレビの最大の魅力」(p.9)であり、「私たちが画面の中の動きに疑問を持ったり、私たちの側から意味付けすることを許さない」(p.28)

そう、そうなのよ。
これこそがテレビの恐いところだと自分は思う。


そして次の引用、

そこで必要になってくるのがテレビ・リテラシーである。よくリテラシーは「読み解く能力」という意味で使われるが、筆者は、テレビ・リテラシーに限っては、読み解く能力よりも批判する力*1だと考えている。

これ、自分も全く同感である。


見る側から意味付けする事を許さない、というか、意味付けする隙を与えないのがテレビの怖いところ。それに何の疑問も持たず乗せられていると、物事を批判的に考える力が弱まってしまうんじゃないだろうか。物事を批判的に考える事が出来ないということは、物事を自分の力で考える事ができないということに等しい。サイト内で紹介されている3大症状(スピード病・目立ちたがり病・甘口病)は、ちょっと疑問に思うところはあるにせよ、批判的に考えることをおざなりにしてると、こんな症状が出ても不思議じゃないかも、とまで思う。


…「見続けると言葉の発育が遅れるかもしれない」とかいう曖昧で根拠の薄い提言より、こっちの方がよっぽど恐いな、自分は。
ていうかね、言葉を覚えたくて仕様がない幼児にとって、絶えず言葉を発しつづけるテレビってのは、反って有意味なんじゃないかと思ったりもするのよね…。


ただ、上記したように、テレビからの情報を鵜呑みにする癖はつけないように気をつける必要がある。個人的にはこっちのが重要と思う。



同じ「子供」と「テレビ」の問題を、「言葉の発育」とは違う「批判力」という切り口で考えさせられたページでした。

*1:ここでの「批判」は、相手を責め立てるという意味ではなく、「クリティカルシンキング」という意味。そういえば最近クリティカルシンキングって巷でも何気に流行の兆しを見せてるよなぁ…。元々心理学の世界の用語だと思うのだが、どの程度正確に流布しているのか気になるところ。