アダルトチルドレンについて

アダルトチルドレンについて、いろいろ見ていくうちに何か分からないけど腑に落ちないというか、危うさを感じていたが、それがズバリ書かれてるページを発見。


アダルト・チルドレンの語られ方 −雑誌記事の分析より− 加藤 篤志
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html

しかし、にもかかわらず、「アダルト・チルドレン」の概念に肯定的な記事においては、しばしばこうした*1論理水準が曖昧なものになっており、それは斎藤や信田などの臨床家たちにおいても時々見いだされている。すなわちこれらの記事においては、しばしば「アダルト・チルドレンと自己を規定する」ことが「アダルト・チルドレンであることを発見する」ことと混同されており、また、本来ならばあり得ないはずの「彼(女)はアダルト・チルドレンである」「あなたもアダルト・チルドレンかもしれない」といった二人称的・三人称的な用法も少なくない。そして多くの批判記事は、まさにこうした混同がもたらす理論的あるいは実践的な困難に向けられたものとなっているのである。

そうそう、それだよそれ。
論理水準が曖昧なのが気になっていた。


アダルトチルドレンという概念自体は悪くないものだが、ともすると自己啓発セミナーなどでは悪用されそうな(そして悪用し易い)ものであり、実際に悪用しているところもあるかもしれないと自分は懸念している。
そういうのには引っかからないように極力用心する必要があるけども、その際その団体がACの概念を悪用しようとしているか否かの判断基準として、上記の引用部分は有益であると考える。


それから。


斎藤学氏は、自分が調べたところではアダルトチルドレンの第一人者とお見受けした。その方がおっしゃったという以下の言葉が印象的。

 「私自身はせいぜい部数二千ほどの本を書いてきた人間です。他人の責任にするようだが、「悩んでいる人が手に入れやすい書籍を」と言われ、大手から出版したのが間違いだったかも。万単位に売れたときの影響まで、予想できなかった。」

まだ全部読めてない(かなりの長文…)けど、とりあえずメモ&アンテナに追加。



…もはやただのメモと化しつつあるなぁ、このダイアリ…(苦笑

*1:(上記サイトより引用)「アダルト・チルドレン」という概念が生まれた本来の文脈においては、もともとこの概念は自己を認識し語るための実践上のツールとしての位置づけが主であり、それ故に「ACは病名でもなければレッテルでもない」という主張はかなり頻繁になされている。