1世と2世以降の違い

マインドコントロールに興味を持ってからというもの、いろいろ本を読んだりサイト見たりしているが、何となく違和感のようなものをずっと感じていた。それが何なのかイマイチ分からず、ずっと歯がゆかったのだけど、最近何となく分かってきた。


どうやら自分は、マインドコントロールの研究のほとんどが所謂1世を対象としていることに、違和感を覚えていたようだ。


つまり、元々ごく普通の常識と思考体系を備えていた人が、マインドコントロールする側とどう接触し、どう説得され、教義などをどう内面化し、メンバとなっていくか、その過程や原理がターゲットであることが多い(気がする)。それを応用して、きちんと脱会できるようにするための方法論も模索されている(と思う)。


3世である自分に引き付けて考えるに、これらの考えでも当てはまる部分は当然のことながら沢山ある。でも、1世と2世以降の場合では決定的に違う部分がある。


それは、1世が持っている世間一般の中で身に付けたであろう思考の基盤を、2世以降の人は持っていない、ということ。


2世以降の人も思考の基盤は持っているが、その基盤自体がマインドコントロール集団と共に培われたものであって、世間一般の中で身に付けたものとは異なる場合がある。でも、本人にとっては、それが基盤。
もちろん、成長していく過程で他の価値観や思考方法を取り入れ変化はしていくが、幼少期や思春期などに見についた思考体系はより強固に保持されるものであり、その後の生活や人生に大きな影響を与えるということは、疑問の余地がないだろう。


自分の意思決定が、マインドコントロールによるものなのか、刷り込み(成長過程における学習)によるものなのか、本人は判断できない。というより、傍目から見たらマインドコントロールに見えても、本人にはそうは見えていないし、見えない。MC・刷り込みの区別無く、全てが本人を取り巻く「環境」であり「文化」である。


このような状態において、現行の研究に多い、1世を対象としたデプログラミングはどこまで通用するのだろうか。
マインドコントロールによって使われなくなった以前の思考体系を、再び使われるようにすることがデプログラミングの肝だと思うけど、2世以降の人にはその「以前の思考体系」が存在しない。


ということは、2世以降の場合、以前の思考体系に戻すというよりも、新たな思考体系を作り直すというような作業が必要になってくるのかもしれない。これは戻すよりも数倍いや何十倍も大変な作業だろう。この辺の研究ってどれくらい進んでいるのだろう?


この辺って、研究の着目点としてはどうなんだろう?
面白いものなのかな?それとも既知なものなのかな?
もし余り研究されていない部分なら、自分の研究対象とするのもいいかもしれない……なんて思う今日この頃。