殴る母 (中国新聞)

先日、コメント欄で話題?になっていた「親のケア」関連の話。
こんな記事を発見した。
虐待を乗り越えつつある母親の、現状と心情そして回復に向かう経緯が描かれている。


●殴る母 続殴る母 (中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/gyakutai/index.html


この記事の特徴は、後半の回復への経緯の中で「アダルトチルドレン」の話が出てくることでしょうか。今まではAC関連で親のケアという話はあまり聞いたことがなく、自分の中では上記の記事が初見ではあるが、やっぱりこういう展開だよねぇ、といった感じ。
つまり「親もまたACである」としてACの概念を親にも当てはめる、というもの。ACという概念を用いて心理的なメカニズムを理解し、それをもとに親自身が自分の内面を見つめなおし、虐待を止めるキッカケとするわけだ。これは、いわゆる内へ内へと原因を求めていく方法と言えるだろう。


それはそれでいいし文句はないのだが、自分個人としては、原因を掴んだ後、じゃぁそこからどうしていくのか?といった所にもっと突っ込んで欲しかったなぁ、と思う。上記記事ではその辺についての言及が少ない。原因を深追いするだけして、追いっぱなしだなぁという印象。まぁAC概念を元としているのだから自然な成り行きなのかもしれないが。*1
原因がわかっても、それに対して適切な処置ができなければ、変な方向へ話を進めるのを助けるだけかもしれない。ACという考え方を入れる真意は、「親のせいだ」「あんたのせいだ」と声高に叫ぶ事ではなく、それをキッカケとして精神的な自立を果たす事だと思うから。だから、いかに状態をそっちへ持っていくか、という部分も、合わせてきちんとやるべきでは?と、最近個人的に思う。*2


この記事内で登場する母親の一人は「自分は寂しかったんだ」と気付けたことが、事態の改善に繋がったようだ。文章内に記述はないが、その「気付き」には、ACの概念や自助グループの働きがあったのだろうと推測する。なぜなら、追い込まれている人にその「気付き」は現れにくいものだと思うからだ。この母親のように、事態を良い方へと向かわせられることが大切なのだと思う。


先日、andyさんのところでも、朝日新聞に連載されていた「虐待する親のケア」の話があり興味深く拝見していたが、そこで紹介されていたのは「自分の感情をコントロールするスキルを身に付ける」という話だったように思う。上記のAC概念を元に内へ内へ原因を求めているの対し、こちらでは一旦原因を「感情の爆発」としている。そしてその要因として「感情制御スキルの低さ」を見出し、対処法として「感情制御のスキルを身に付ける」、という方向で対応しようとしているのだろう。
自分はそれも有効な解法の一つだろうと思う。上記のAC概念を利用する場合のように内側の原因の追求も大事だが、「スキル」という界面的な部分を見直すことも必要だと思うから。


アプローチは違えど、目的は同じだ。

虐待を止める為の親のケア、こうやっていろいろ模索されているのが現状だが、この過渡期を経て方法論が確立され、それによって少しでも多くの母親・父親、そして子供が救われることを願ってやまない(…ってお前何様って感じですがw)。



●Kaoru’s Diary 〜 過去編 〜
当世フェミニン事情② ”殴る母”
http://plaza.rakuten.co.jp/platinousmoon/diaryold/20010313/


こちらは日記だが、友達の「虐待に走ってしまう母親の心情」がよく伝わってくる。

で、自分が印象に残ったのはここ。

自分が幼いころの話しもしてくれた。そしたら・・・予想どおり、彼女もまた虐待されてきた子供だった。
”大人になったら、きっといいお母さんになろう。子供には何でも買ってあげて、沢山愛してあげて、いつも家にいて子供の帰りを待つ、いいお母さんになろう。もちろん、私は絶対子供を叩いたりしないお母さんになろう。沢山愛してあげよう。”とずっと思ってきたという。

……全く同じことをCさんも言っていたっけ。
この思い、悪いことでは全くないけれど、それに縛られてしまうと、結局過去に「いい子」を演じていたのと同じ状況に自分を陥らせてしまうかもしれない。それだけは覚えていて欲しいです。
…まぁ見てないと思うけどさ。

*1:AC概念は心理的な分析手法の一例を与えるが、その後どうしていけば良いかという処置法までは与えない、ていうか範囲外。だと思っている。

*2:この辺はカウンセリングの現場(そして恐らくセラピーの現場でも)では普通に行われているのかな?いや、いるに違いない。と思いたい。まぁただの個人的戯言なんで、適当に聞き流してください(^^;